Avec Grace Ballet blog

武蔵小山商店街内のバレエ教室 Avec Grace Balletのブログです。 小さなお子さんから大人まで,初めての方から経験者まで,丁寧に指導します。 詳しくはホームページをご覧ください。 http://avecgraceballet.com

2016年04月

あーーロッセが・・・・・・

 只今入った情報です。
気になるお店、ロッセが昨日テレビで紹介されたらしい。ワールドビジネスサテライト
プリンが好きで、趣味が高じて収益度外視でがんばっている。
生活のために、トラックの運転を週2回やっている。(トラックの運転も好き)
という店主の言葉に、涙が出ますね・・とコメンテーターが話したらしい。

 ダメだ!もうだめ!混む混む!並ぶ!私はブログに載せてはいけなかった?
のだろうか・・・・

神韻

https://www.youtube.com/watch?v=jIqySRle_2k

 ぜひ、BOY'Sは1分30秒ぐらいから観ていただきたい。神韻というもので、シューミンさんがバレエを習うきっかけとなった中国古典舞踊からきている。
 文化大革命で、現在中国では古典舞踊は禁止されている。ニューヨーク拠点のスーパー古典舞踊だ。
その根底には、政治的な問題を抱えているようだが、難しいことは抜きにしてなんともすごい踊り集団です。



ピエール ボーシャン

 バレエはどこでどのように発祥したのか、バレエと出合った方は一度は考えたことがあるのではないだろうか。
イタリアの宮廷舞踏といわれているが、現在のバレエに繋がったものは、かのルイ14世が住むヴェルサイユ宮殿が舞台らしい。ヴェルサイユ宮殿は、鏡の間はゴージャスさを感じられるが、美しい城というより広大な街という気がする。気に入った貴族を家族ごと住まわせていたわけだから、巨大な仲良しコミュニティーだったと思う。
そこで、太陽王といわれたルイ14世は、テレビもない、映画もない、ゲームもない日々で、どうやって毎日を楽しく過ごそうかと考えた。
 モリエールの演劇、リュリ、ラモーの宮廷バロック音楽、足りない足りない何か足りない。そうだ、宮廷舞踏の中から、芸達者を集めて踊って演劇をやろう。彼は王立音楽アカデミーを創立し、ピエール・ボーシャンを学校長に任命した。
 ボーシャンは、作曲、音楽奏者、そしてバレエの基礎となる5つのポジション、回転(ピルエット)ステップをこの時代に作り上げた。(とラモーは信じている)1630年代に、この科学的な訓練方法を作ったボーシャンは天才というしかない。自身でヴァイオリンを弾きながら、作曲し踊ったということだ。
                             フォーミダブル Formidable

ついに謎が解きあかされる

石井義人  長谷のバレエ歴を記事に書くと、日本のバレエ界の歴史ににもつながり、なんとも嬉しいやら悲しいやら・・・・
 右の写真は、日本人で初めてロシアの舞台で踊った石井梨花さんのご両親。新国立のバレエマスターを勤めた石井潤の叔父でもある。彼のおじが帝劇の一期生の石井行康だそうだ。
 私は小学生のときに、NHKの近くの稽古場まで、渋谷の繁華街を今日は大好きなバレエだから駅から遠く感じるけどがんばると,ランドセルをしょって歩いた。石井梨花さんは一つ下。鹿島建設令嬢や、オリンピック体操選手などの生徒が大勢いて、ハイソな雰囲気をかもし出していた。
 梨花さんを将来、海外でバレりーナにする予定らしく、インターナショナルスクールに通わせていらした。その、誕生会はインターナショナルのお友達であふれかえり、カルチャーショックを受けるほど華やかなものだった。
 さて、なぜ私がバレエをやりながらも、食べることがすこぶる好きなのか。それはいつも厳格な石井先生に、バレエの帰りにラーメンをご馳走していただいた思い出が、忘れられないからだ。しかも、私だけの特別感。(実は帰り道が同じで、先生がお腹がすいていらして、ついでとおもっていたと思う。先生は名前も忘れていると思う)もう嬉しくて嬉しくて。それだけ厳しい方々でした。特に愛子先生は、階段を降りていらっしゃるだけで、私は震えていました。

アヴェックグラースバレエの成り立ち

植田先生1 アヴェックグラースが開校したのは、こちらの男性(植田好文先生)との出会いからです。
 日本のバレエは、ロシア革命で日本に亡命したエリアナ・パブロワが1927年鎌倉にスタジオを開いたのが日本のバレエ学校1号といわれていますが、実は帝劇のダンサーをピックアップしてイタリアのダンサーがバレエを仕込み、今の日劇で踊ったのが始まりです。その第1号バレエダンサーが、松尾明美、貝谷八百子、そして我らの恩師三橋蓮子でした。
 
 その後、小牧正英がロシアバレエ(バレエリュスに彼は在団していました)を日本に持ち帰り、谷桃子バレエ団、スターダンサーズバレエ団、東京シティーバレエ団、小林紀子バレエシアター、橘バレエ団の基礎を築きました。植田好文先生は、小牧バレエ団全盛期のプリンシパルダンサーです。1950,60年代でこれだけの容姿とテクニックのの持ち主はなかなかいませんでした。偶然にも、小さい時にあこがれた植田先生の弟子になり、小牧正英の最後の弟子の一人になれたことを嬉しく思っております。

 植田先生とレッスンの後は必ず、ミスタードーナッツでお茶の時間。
とても可愛がっていただきました。

 
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