Avec Grace Ballet blog

武蔵小山商店街内のバレエ教室 Avec Grace Balletのブログです。 小さなお子さんから大人まで,初めての方から経験者まで,丁寧に指導します。 詳しくはホームページをご覧ください。 http://avecgraceballet.com

2016年06月

日本館

館の歴史

外観 日本館(Maison du Japon)の正式名称は「パリ国際大学都市日本館ー薩摩財団」といいます。日本人実業家の薩摩治郎八氏が 350 万フラン (当時) の私財を投じて建てたものです。
 薩摩治郎八はバロン薩摩と呼ばれ、10年で600億円(1930年代ですよ・・・)
パリでつかったといわれている。画家藤田嗣治、高崎剛、高野三三男など当時パリで活躍していた日本人芸術家を支援したほか、美術音楽演劇などの文化後援に惜しみなく私財を投じた。日本館
 日本館には、藤田の絵が飾られている。
ぜひ夫人の写真をみて欲しい。こんな美人はみたことがない。

山田英夫伯爵の令嬢、フランスでバロン薩摩と呼ばれた富豪、薩摩治郎八の妻。藤田嗣治が「ドーリー(お人形の意)」と呼んでかわいがった美人で、カンヌの美人コンクールでも優勝、フランスのファッション誌『ヴォーグ』にも何度も登場したという国際派の美人。洋画家の佐伯祐三にも愛されていたとかいないとか。

  

7歳8歳で人生が決まる

https://www.youtube.com/watch?v=7w9MS7zLB4M
涙なくしては、視られません。
おそらく、オペラ座も同じです。
日本人は留学費を払って学校への入学は許されています。
その後に、残れる人はまずいないです。
皆さん、ぜひオペラ座日本人1号に。(ハーフの方は何人かいらっしゃいます)

フランスは、バレエダンサーの社会的地位が高いので、
コンセルヴァトワールに17、18で入ると学士がもらえるようになります。
その後の、就職、社会的信用が、一般の方よりぐんとアップします。

いつ子さんより
  藤井美帆さんが第1号では?とのメールをいただきました。
 オペラ座バレエ学校に入ったことが随分話題になって、バレエ団入団がかすんでいました。
 第2号になるようにがんばりましょう。
 藤井さんは大塚礼子先生のスタジオにいらっしゃって、オペラ座のバレエ学校にご自分でアタックしたと
 お話をうかがったことがあります。

オープンレッスン

https://youtu.be/ISQpvIpe3E4
https://youtu.be/Xi9_dBwHtGA
 ピアノレッスン 
火曜日  サレンコクラス風景

こちらのメンバーは 12月アリス 1月パキータなどで
参加予定です。

相当昔の話ですが・・・

cite 左の写真は、パリに住んでいた時のレジデンスです。
向って左の棟2階に住まわせていただきました。
cite universitaire という国際大学都市です。
 世界中から将来ノーベル賞を取るぞ、とか世界的な指揮者になってやるぞ,などとい若い学生、研究者、学者が集まって住んでいます。私たちは運良く、中央館に入居しました。1階には、レストラン、銀行、郵便局がありとても便利。映画館まで入っています。そして幸運にも、地下にはプールや、スタジオがありました。
 バレエ教室の真上に住めたわけです。解剖学もあり、ダンス全般のクラスが備わっていました。本当に残念ですが、私のフランス語力では解剖学などわかるわけもなく、現在に生かされていないのが、皆様に申し訳ない気持ちです。(その後、井上バレエ団の方に、解剖学は手ほどきをうけました)現在ネットで検索すると、バレエクラスが出てこないので、なくなってしまったかもしれません。スポーツジムになっているような気がします。アメリカ館、イギリス館、ブラシル館と世界の館があり、我が日本館もあります。次回は日本館をご紹介しましょう。

出会いは電車の中

 尾本安代先生と出会ったのは、小学生のころ。舞台上の尾本先生と、大塚礼子先生は日本人の中の外人だった。私が母には感謝するのは、小学生のころから文句も言わず、いろいろな舞台を観るチャンスをあたえてくれたことだ。当時でも、海外のバレエ団は2万近いチケットだったと思うが、小学生の私に買ってくれたのだから今思うとたいしたものである。その一つとして、谷バレエ団も観ていたようだ。
 当時から海外のバレエ団も観ていた私にとって、日本のバレエ団はどうもピンとこない気がした。王子はやはり、青い目でしょう。姫はブロンドの髪で目がくりっとして、など文句が多かった気がする。そこへ突如現れた、上記のお二人、すごい!と思った。
 その方と、再び再会するのは、高田バレエスタジオで体ならしにレッスンへ通ったころ。代講でやってきたのが尾本先生だった。それからしばらくお会いしていないのだったが、電車の中で再会した。私が驚いたのは、記憶力。袖振り合うのも多少の縁であるが、ずっと昔に触れ合った人の名前も、「ああ、あの時の○○さんね。そう、○○さん元気?」など優しくいたわるのである。(みなさん、うかうかできません。先生は、教えていない生徒も把握しておりますよ)私は、なんてすごい方だろうと思って、すぐ弟子入りをお願いした。
 その後の先生の天才ぶりは驚嘆してばかりである。

 尾本安代は1970年代にキューバ(カストロ政権の共産国でわれわれ日本人からしたら、なんとなく恐いイメージだ)に文化庁の派遣で留学している。アリシア・アロンソについてバレエを学んでいる。理由は、年をとっても劣らないスーパーバレリーナだったからそうだ。その後、世界中で踊ってくれとオファーがあり、日本ではタイトルロールをほとんど踊り、彼女が初演で主役を踊ったもの多数ある。
 驚くべきは、彼女のために公演を催すパトロンもいた。(尾本安代のために、音楽、衣装、舞台美術、ダンサーが全て集められた)
 時代も、日本では遅れてきたダダイズム。そうそうたるメンバーが集まってバレエを創れたのだろう。
 
 昨今、日本人も外人のようなルックスを持ち、お姫様のような方も現れたが、尾本安代の天才振りを抜く方は、まだ観た事がない。
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