Avec Grace Ballet blog

武蔵小山商店街内のバレエ教室 Avec Grace Balletのブログです。 小さなお子さんから大人まで,初めての方から経験者まで,丁寧に指導します。 詳しくはホームページをご覧ください。 http://avecgraceballet.com

2019年06月

おみごとです

 スタジオの入っているビルには、管理人さんが3人。朝8時には掃除をしていらっしゃる。
トイレは、2時間おきには掃除している。夜は私たちのおかげで、22時まで閉められない。住み込みのAさんは、穏やかでいつもニコニコ頼りになった。大きな蜂が入ってきた時は、みごと仕留めてくださった。
「長谷さん。あのね、来月僕87歳になるんだ。それでね今月で退職することにした」と6月半ばにお聞きした。Aさんは横浜で蕎麦屋を営み、家を3軒も建てて66歳でこの会社に就職。4年位働ければいいかなと思っていたところ、20年働いたということ。おみごとです。
 生涯現役で働くことを、強いられそうなこの時代。強いられるのではなく、働けたことに誇りを持ちと感謝をしている気がした。水曜日の子どもたちで花束を送って、お見送りをさせていただいた。

 三元鮨さんが閉まったことを前回お知らせした。大将が先日あの世に旅立った。80歳。
亡くなる1か月前まで、鮨を握っていたのだ。大将!おみごとです。
大将は、心臓が悪くて何度も入退院を繰り返していた。疲れると、顔が真っ白になるので、相当しんどいことが分かって、私は辛そうな時はそっとドアを閉めて帰った。それでも、嫌な顔を見たことがない。いつも、にこにこ穏やかで私が顔を出すと、そっと「これ喰ってみな」と珍しい物を食べさせてくれたものだ。
 ここで知り合ったOさん88歳が、一緒に旅立った。ほんの1週間違いだ。大将が「不良少年だったOさんだよ」と紹介してくれた。そうOさんは、学生闘争の創始者?で、戦後石川県で砲弾を作っていたことを反対する運動の先頭に立ち、北は北大から南は九大までの学生を集め大闘争を繰り広げた(のちに「不良少年」という映画になった)首謀者だった。警察に目を付けられたおかげで、就職はできず会社を立ち上げ、中国にも会社を広げた剛腕社長だ。逆境を物ともせず、亡くなる前日まで浜田屋さんで召し上がっていらしたとか。社長 おみごとです。

 考えてみたら、守ってくれた世代の方が旅立っていってしまっている。
もしかしたら、今度は自分たちが若い世代を守る立場か。ごめんなさい。私たち世代は、有頂天時代の日本で甘やかされて育ってきました。なんとも頼りなく、Oさんのように国を相手に反対もせず、森も水も守れないような大人たちです。
それでも、おみごとですと言っていただけるように、少しでも先輩たちを目標にがんばります。

こんなところに かっぱが

DSC_0252 西小山に猫カフェがあると聞いて、出かけてみた。
 生まれ育った家では、犬が常時3匹ぐらいと、猫が5,6匹。ついでに、鶏が15羽ぐらいと孔雀が2羽飼われていた。(農家ではありませんよ。そして、それらはほとんど放し飼いだったのだ。東京とはいえ、とってものどかな田舎だった)

 孔雀は、鶏に卵を温めさせ生まれた。お母さんが鶏と思ってくっついて歩く変な子で、私はその生まれたての孔雀の卵で朝の目玉焼きを作って食べていた。そして、セッターとポインターとダックスフンドを車のトランクに詰め込んで、週末に父親が猟に出かけていった。帰宅すると、雉、鹿、イノシシ、時には熊肉を食べさせてもらった。父はクレー射撃でオリンピックで選手に選ばれた(辞退しましたが)腕前だったようで、毎週末がごちそうだった。
 猫はたいして役にたたなかった?いえいえ、湯たんぽ替わりに最適で、お腹と足をくまなく温めてくれていた。
 癒しを求め、猫カフェへ急ぐと、急ぎすぎてまだ開店しておらず、、。
あきらめて、ぶらり西小山の旅へ。するっていと(江戸前言葉ですみません)こんなしゃれたお店があるじゃねえか。
 名前もしゃれた 「かっぱ亭」
この辺、昔は花街だったときいている。楽しみだ!どんな板さんがどんな料理をだしてくれるのか。
さて、ここで紹介した、あと少しで創業100年だった、三元鮨さんが幕を閉じた。深川で始めて、震災で武蔵小山へ越してきたと言っていらした。江戸が一つ消えて寂しかった。「かっぱ亭」がんばってくださいよ。  ところで、私の食べ物好きは、子どもの頃の豊富な材料にあった?気がします。
 


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