スタジオの入っているビルには、管理人さんが3人。朝8時には掃除をしていらっしゃる。
トイレは、2時間おきには掃除している。夜は私たちのおかげで、22時まで閉められない。住み込みのAさんは、穏やかでいつもニコニコ頼りになった。大きな蜂が入ってきた時は、みごと仕留めてくださった。
「長谷さん。あのね、来月僕87歳になるんだ。それでね今月で退職することにした」と6月半ばにお聞きした。Aさんは横浜で蕎麦屋を営み、家を3軒も建てて66歳でこの会社に就職。4年位働ければいいかなと思っていたところ、20年働いたということ。おみごとです。
 生涯現役で働くことを、強いられそうなこの時代。強いられるのではなく、働けたことに誇りを持ちと感謝をしている気がした。水曜日の子どもたちで花束を送って、お見送りをさせていただいた。

 三元鮨さんが閉まったことを前回お知らせした。大将が先日あの世に旅立った。80歳。
亡くなる1か月前まで、鮨を握っていたのだ。大将!おみごとです。
大将は、心臓が悪くて何度も入退院を繰り返していた。疲れると、顔が真っ白になるので、相当しんどいことが分かって、私は辛そうな時はそっとドアを閉めて帰った。それでも、嫌な顔を見たことがない。いつも、にこにこ穏やかで私が顔を出すと、そっと「これ喰ってみな」と珍しい物を食べさせてくれたものだ。
 ここで知り合ったOさん88歳が、一緒に旅立った。ほんの1週間違いだ。大将が「不良少年だったOさんだよ」と紹介してくれた。そうOさんは、学生闘争の創始者?で、戦後石川県で砲弾を作っていたことを反対する運動の先頭に立ち、北は北大から南は九大までの学生を集め大闘争を繰り広げた(のちに「不良少年」という映画になった)首謀者だった。警察に目を付けられたおかげで、就職はできず会社を立ち上げ、中国にも会社を広げた剛腕社長だ。逆境を物ともせず、亡くなる前日まで浜田屋さんで召し上がっていらしたとか。社長 おみごとです。

 考えてみたら、守ってくれた世代の方が旅立っていってしまっている。
もしかしたら、今度は自分たちが若い世代を守る立場か。ごめんなさい。私たち世代は、有頂天時代の日本で甘やかされて育ってきました。なんとも頼りなく、Oさんのように国を相手に反対もせず、森も水も守れないような大人たちです。
それでも、おみごとですと言っていただけるように、少しでも先輩たちを目標にがんばります。