尾本安代先生と出会ったのは、小学生のころ。舞台上の尾本先生と、大塚礼子先生は日本人の中の外人だった。私が母には感謝するのは、小学生のころから文句も言わず、いろいろな舞台を観るチャンスをあたえてくれたことだ。当時でも、海外のバレエ団は2万近いチケットだったと思うが、小学生の私に買ってくれたのだから今思うとたいしたものである。その一つとして、谷バレエ団も観ていたようだ。
 当時から海外のバレエ団も観ていた私にとって、日本のバレエ団はどうもピンとこない気がした。王子はやはり、青い目でしょう。姫はブロンドの髪で目がくりっとして、など文句が多かった気がする。そこへ突如現れた、上記のお二人、すごい!と思った。
 その方と、再び再会するのは、高田バレエスタジオで体ならしにレッスンへ通ったころ。代講でやってきたのが尾本先生だった。それからしばらくお会いしていないのだったが、電車の中で再会した。私が驚いたのは、記憶力。袖振り合うのも多少の縁であるが、ずっと昔に触れ合った人の名前も、「ああ、あの時の○○さんね。そう、○○さん元気?」など優しくいたわるのである。(みなさん、うかうかできません。先生は、教えていない生徒も把握しておりますよ)私は、なんてすごい方だろうと思って、すぐ弟子入りをお願いした。
 その後の先生の天才ぶりは驚嘆してばかりである。

 尾本安代は1970年代にキューバ(カストロ政権の共産国でわれわれ日本人からしたら、なんとなく恐いイメージだ)に文化庁の派遣で留学している。アリシア・アロンソについてバレエを学んでいる。理由は、年をとっても劣らないスーパーバレリーナだったからそうだ。その後、世界中で踊ってくれとオファーがあり、日本ではタイトルロールをほとんど踊り、彼女が初演で主役を踊ったもの多数ある。
 驚くべきは、彼女のために公演を催すパトロンもいた。(尾本安代のために、音楽、衣装、舞台美術、ダンサーが全て集められた)
 時代も、日本では遅れてきたダダイズム。そうそうたるメンバーが集まってバレエを創れたのだろう。
 
 昨今、日本人も外人のようなルックスを持ち、お姫様のような方も現れたが、尾本安代の天才振りを抜く方は、まだ観た事がない。