館の歴史

外観 日本館(Maison du Japon)の正式名称は「パリ国際大学都市日本館ー薩摩財団」といいます。日本人実業家の薩摩治郎八氏が 350 万フラン (当時) の私財を投じて建てたものです。
 薩摩治郎八はバロン薩摩と呼ばれ、10年で600億円(1930年代ですよ・・・)
パリでつかったといわれている。画家藤田嗣治、高崎剛、高野三三男など当時パリで活躍していた日本人芸術家を支援したほか、美術音楽演劇などの文化後援に惜しみなく私財を投じた。日本館
 日本館には、藤田の絵が飾られている。
ぜひ夫人の写真をみて欲しい。こんな美人はみたことがない。

山田英夫伯爵の令嬢、フランスでバロン薩摩と呼ばれた富豪、薩摩治郎八の妻。藤田嗣治が「ドーリー(お人形の意)」と呼んでかわいがった美人で、カンヌの美人コンクールでも優勝、フランスのファッション誌『ヴォーグ』にも何度も登場したという国際派の美人。洋画家の佐伯祐三にも愛されていたとかいないとか。